*この記事は、2021/11/28に佐久キリスト集会にて語られた、成田敞末さんによるメッセージに基づいています。
1970年代にアメリカで出版され、全世界で大ベストセラーとなった『カモメのジョナサン』の主人公、ジョナサンは他のカモメが食べるためだけに飛ぶのをみて、「私たちは食べるために生きているのか?」と疑問を抱きます。
そのうち彼は、飛ぶことそのものに価値を見出し、飛行の研究に打ち込むようになります。
私たち人間は何のために生きているのでしょうか。
明治時代の陸軍大将だった乃木希典という人物は、明治天皇が崩御されたと同時に、自身の妻とともに切腹をして死にました。彼は明治天皇のため、日本のために生きた軍人でした。
ところで、聖書には次のように書いてあります。
私たちの中で、だれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
ローマ人への手紙14章:7節(新改訳2017)
私たちは、生きるとすれば主(キリスト)のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
「何のために生きているのか」、と問われ、「自分のために生きている」と答える人は多いでしょう。しかし「何のために死ぬのか」という問いに答えられる人はいるでしょうか。よく考えてみると、生まれた時も自分が望んで生まれたわけではありません。
生きるとか死ぬということは私たちの意志を超えているもので、その理由は私たちが努力して見つけることはできません。私たちの作者に教えてもらう他ないのです。
聖書によると、私たちは神のために造られました。私たちが何かを作るとき、それは私たちのために目的を持って作ります。同じように、私たちの存在の目的は、作者である『神のため』なのです。